三洋信販は昭和34年、椎木正和氏によって福岡県北九市で創業されました。米国で金融ビジネスを学んでいた椎木氏は他の消費者金融とは一風違った独創的な手法で多店舗化を進めていきます。たとえば、他の大手消費者金融が首都圏に本社を置いているのに対し、三洋信販は福岡に本社を置いて、九州と中国地域を中心とした営業を展開しています。
また、1981年には業界初の第三者割当増資を実施し、更には1983には九州内の企業としては初のワラント債を発行しています。また、1987年になると消費者金融業界では初となる上限金利を20%台に引き下げるといった「業界初」の施策をしています。
現在、消費者金融のテレビコマーシャルは2006年の貸金業規制法改正により、各社月間100本以内、午前7時から午前9時までの間と午後5時から午後10時までの間は放送できない決まりになっていますが、それ以前はゴールデンタイムの時間帯に頻繁に消費者金融のCMが流されていた時代がありました。
この時代のテレビCMによって利用者が急増したと言われていますが、これによって多くの多重債務者や自殺者を生み出したことも忘れてはなりません。
2005年当時の金利 | 29.000% |
1995年は金融界にとって衝撃の生まれた年になりました。バブル崩壊と不景気による不良債権に苦しむ銀行業界を後目に、消費者金融がランキングトップに躍り出たのです。しかも、トップ10に3社も入る有様で、当時の日経流通新聞には「大手消費者金融、都銀を超えた!低金利背景に躍進」との見出しで紹介しています。
九州大学にある椎木講堂は、三洋信販の創業者である椎木正和により、同大学創立百周年を記念し寄贈されたものです。椎木講堂は、全体で直径100mの円形のメインホールと管理棟からの建築物で、コンサートホールは、最大3,000人を収容できます。